ある時ネットで、週末探検隊という集合体が出している「廃墟・遺構探索05 秩父セメント秩父第一工場」という本があるのを見つけた。早速、AMAZONで購入した。
しかし、A4版12ページの冊子風のもので、全体像をうまく捉えることはできなかった。
著作権法からすると問題があると思うのだが、世の中に大きな影響を与えていないブログ上のことなので許されると考え、その一部を掲載する。
なお、発売は2010年である。
筆者がお世話になった会社にネットを通して訪問するブログです
懐かしの会社について調べようと思っても、多くの企業が合併などにより歴史が変わってしまっている。合併はバブルが弾けた後、リーマンショックの後に特に多かった気がする。調べると言っても、専門家ではないので、企業のウェブサイトや業界、その他のサイトでの書き込み、社史や既製の単行本に頼るしかない。
ウェブだけで調べようとすると会社が膨らんでしまったり、縮んだりしているので、確認できる内容が少なくなってしまう。
秩父セメントは、今は太平洋セメントになってしまっている。
秩父セメントの創業は1923年で、1925年に工場(第一工場)、1956年に第二工場、1962年に熊谷工場を設置した。そして、1994年に小野田セメントと合併し秩父小野田となり、1998年には、その秩父小野田が日本セメントと合併し、太平洋セメントになった。その後、秩父工場(旧秩父セメントの第二工場)は傘下の秩父太平洋セメントに譲渡された(熊谷工場は太平洋セメントの工場)。
(ここまでは、太平洋セメントと秩父太平洋セメントのウィキペディアで調べた)
太平洋セメントのウィキペディア
:https://ja.wikipedia.org/wiki/太平洋セメント
秩父太平洋セメントのウィキペディア
:https://ja.wikipedia.org/wiki/秩父太平洋セメント
国内のセメント需要が1990年度にピークとなり、今は1960年代後半のレベルに落ちてしまったのだから、企業の統合はやむを得ないのかも知れない。もはや公共事業が増大する可能性は小さいだろうから。
秩父太平洋セメントのウィキペディアに拠れば、会社設立は2000年で、本社、工場ともに所在地は秩父市大字大野原1800である。このウィキペディアには、工場の設計が谷口吉郎に因ると書かれている。
私は、1960年前後に秩父セメント第二工場を見学している。小学校か中学校の社会見学か、中学校のクラブ活動(社会部)での見学のいずれかだった、と思う。谷口の設計なら、もう一度見学してみたい気がする。当時、まだできてまもなくであり、またスッキリしたレイアウトであったため、綺麗な工場であるというイメージしか残っていない。当時もそうだが、今もセメントの製造の知識は少ないのでロータリーキルンなど設備のイメージは殆ど残っていない。
秩父を離れて50年以上も経ってしまった。第一工場は閉鎖され、道の駅になってしまっている。もう、工場近くの家の屋根が白くなることはない。秩父セメントは遠くなってしまった。
セメントができるまで((社)セメント協会ウェブサイトより)
お世話になった会社と言えば、まず自分が働いていた会社、次に取引先となると思いますが、このブログは自分が子供の頃に住んでいた秩父に関する会社から始めたいと思います。
秩父と言えば、昭和30年代はセメントと銘仙(絹織物)の土地、といっても過言ではありませんでした。小学校、中学校時代の多くの同級生の父親や兄弟姉妹は、そういった関連の仕事に就いていました。会社としては、秩父セメント、昭和電工、秩父蚕糸などが挙げられるでしょう。そこで、まずは秩父セメントから始めたいと思います。