2020年11月4日水曜日

秩父セメント(1)

  懐かしの会社について調べようと思っても、多くの企業が合併などにより歴史が変わってしまっている。合併はバブルが弾けた後、リーマンショックの後に特に多かった気がする。調べると言っても、専門家ではないので、企業のウェブサイトや業界、その他のサイトでの書き込み、社史や既製の単行本に頼るしかない。

 ウェブだけで調べようとすると会社が膨らんでしまったり、縮んだりしているので、確認できる内容が少なくなってしまう。


 秩父セメントは、今は太平洋セメントになってしまっている。

 秩父セメントの創業は1923年で、1925年に工場(第一工場)、1956年に第二工場、1962年に熊谷工場を設置した。そして、1994年に小野田セメントと合併し秩父小野田となり、1998年には、その秩父小野田が日本セメントと合併し、太平洋セメントになった。その後、秩父工場(旧秩父セメントの第二工場)は傘下の秩父太平洋セメントに譲渡された(熊谷工場は太平洋セメントの工場)。

(ここまでは、太平洋セメントと秩父太平洋セメントのウィキペディアで調べた)

太平洋セメントのウィキペディア

 :https://ja.wikipedia.org/wiki/太平洋セメント

秩父太平洋セメントのウィキペディア

 :https://ja.wikipedia.org/wiki/秩父太平洋セメント


 国内のセメント需要が1990年度にピークとなり、今は1960年代後半のレベルに落ちてしまったのだから、企業の統合はやむを得ないのかも知れない。もはや公共事業が増大する可能性は小さいだろうから。

セメント需給の推移:(社)セメント協会による


 秩父太平洋セメントのウィキペディアに拠れば、会社設立は2000年で、本社、工場ともに所在地は秩父市大字大野原1800である。このウィキペディアには、工場の設計が谷口吉郎に因ると書かれている。



 私は、1960年前後に秩父セメント第二工場を見学している。小学校か中学校の社会見学か、中学校のクラブ活動(社会部)での見学のいずれかだった、と思う。谷口の設計なら、もう一度見学してみたい気がする。当時、まだできてまもなくであり、またスッキリしたレイアウトであったため、綺麗な工場であるというイメージしか残っていない。当時もそうだが、今もセメントの製造の知識は少ないのでロータリーキルンなど設備のイメージは殆ど残っていない。

 秩父を離れて50年以上も経ってしまった。第一工場は閉鎖され、道の駅になってしまっている。もう、工場近くの家の屋根が白くなることはない。秩父セメントは遠くなってしまった。


セメントができるまで((社)セメント協会ウェブサイトより)

 工程:http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jd3.html#2

 製造設備:http://www.jcassoc.or.jp/cement/4pdf/jd3_01b.pdf

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